目指せトナカイ

 それは今から多分十年程前の冬だったと記憶している。当時インターネットはまだあまり普及していなくて、パソコン通信なるものをやっていた私は、若気の何とやらというやつで、毎日のようにRTC(現在のチャット)に明け暮れていた。当然だが、そうなると所謂NET友達なども出来るようになる。パソコン通信で知り合った友達ならパソ友でもいいかも知れないが、オタ○のような響きがあってちょっと頂けない。何はともあれ、そうやって知り合った友人とオフ会をすることになった。クリスマスより少し前、多分十二月半ばで忘年会という名目での飲み会である。
 場所が仙台と決まったのは、その時の「超大物ゲスト」とされた人物が、「光のページェント」を見たがったからである。不思議なことには、都内近郊からの参加者が矢鱈と多くて、結果私を含めた殆どの人が泊りがけになった。仙台在住のA氏が幹事となって采配をふるい、仙台駅に集合。レンタカーを二台程借りて分乗して日中は名所を回った。
 そして、夕方からの光のページェント。光る雪が木の間から降ってくるかのように幻想的だった。車道は多分片側三車線くらいだろう。そして中央分離帯にあたるところに、このページェントがあるのである。両脇にはかなりの大きさの樹木が生い茂り、中央が歩道である。しかも、人がすれ違える程度の幅があった。数人で横並びになっても問題なかったと記憶しているから、中央分離帯だけで幅五メートルは下らなかったろう。電気は樹木に対して大きな負荷となる、とA氏が語った。彼は読書家で技師で作曲もこなす多芸な人物だったが、雑学は更に強かった。自然に関しても一家言持っていたようである。しかし、と彼は続けた。その樹木に対する負荷を考慮しても、光のページェントは続けるべきだ、と言った。現在だと発光ダイオードなどもあるだろうが、当時は豆電球が殆どだったと思う。熱と重量は確かに大きな負担だったに違いない。
 その幻想的な空間で自然や地球の将来などをしみじみと語ったA氏が、次に一行を指揮して連れて行った先は、居酒屋であった。季節柄、やはり鍋。そしてルイベという料理が出た。鍋は、寄せ鍋、鳥鍋、牡蠣鍋の三つから比較的外れのない寄せ鍋が選ばれた。牡蠣は特産地でもあり、rの付く月でもあるので生牡蠣が出た。そしてルイベは、肉を一旦冷凍し、半解凍状態で薄くスライスしたもので、たれをつけて食べるものである。河豚刺し程ではないが、絵皿の柄が透けて見えるかのようなその赤い肉は、スーパーで売っていれば新鮮に見える程の色合いで、ところどころに入った白い脂肪が模様のように見えた。話が少し逸れるが、鹿の肉のやまかけというものを、栃木県山奥の温泉街で食したことがある。鮪の色が悪くなったような角切りに山芋をすったものをかけたものだが、獣の匂いが強すぎて、ひとかけ食べるのが精一杯だった。
「で、この肉は?」
 気になる程ではないが、口に含むと獣肉に似た匂いがあった。その時、A氏をはじめとする数人がこちらを向いてにっこりと笑った。
「トナカイ!」
 そういえば、誰かがわざわざトナカイの巨大なぬいぐるみを持ってきていたような気がする。あれはこのためだったのか? クリスマス間際にトナカイ食っていいんかい? プレゼント持って来て貰えなくなるんちゃうかい? そういう疑問が頭を駆け巡って仙台の夜は更けていった。クリスマスはもう目の前だった。

Copyright © 篁頼征 All Rights Reserved.