夜話・狐衣



 このあたりの者でござる。夜半に狐が人を化かすという話を聞き、やれ見物にと参ったのでござるが。さてさて、確かに狐も出て参りそうなこの叢、すでにとっぷりと日も暮れて。あちらこちらから何やら獣の声らしきものも聞こえてきやる。いっそ鈴虫蟋蟀なれば秋の夜長よ風流よと愛でたいところでもあろうけれど。やれ、風が冷たくなってござった。どこぞに夜風を避ける小屋でもありはすまいか。贅沢はいわぬ。雨風さえしのげれば。…おお、あそこにあるは、木小屋ではあるまいか。おう、灯りが漏れておる。誰ぞ居ようけれど、心をこめてお頼みすれば、一晩くらいは居させて貰えようぞ。ごほん。…とんとんとん。どなたか、おられまいか。麓の者でござる。日は早暮れて、道に迷ってしもうた。一夜の宿をお借り出来れば幸いでござる。…灯りがあるのに、返答がない。これはどうしたことであろう? 他の家なり小屋なりを捜すべきかも知れぬが。辺りには他に建物とてなし。もしや主が暫時不在にしているだけやも知れぬ。では暫く外で待ってみることにしようぞ。
 …ええい。灯りもつけたままにして、いったいこの家の主はどこに参られたのじゃ! 待ちくたびれて、体は冷え切ってしもうた。これ以上戸外にいては死んでしまうわえ。構うものか、家の主殿、勝手に上がらせて頂くぞ。ぎーっ。あっ、これは。ああ、早う戸を閉めねば。灯りと見えたはこれか。このように神々しい毛衣を初めて見たぞ。色合いと艶、形から見て狐であろうが。しかし見事な狐の毛衣よのう。都に携えて売り捌けば、さだめし大金を拝めることであろうよ。…いや。ぶるぶるぶる。この毛衣は儂が見つけたといえど、儂のものではない。見ておる者がおらぬと言って我が物に出来ようか。しかし、これを売り捌けば、…いやいや。ぶるぶるぶる。ああ、このように神々しいものに対して儂は何と不遜な考えを抱いていることか。いっそ見ねば良かった。見ねばそのような浅ましい考えを抱かずに済んだものを。ああ、それにしても冷え込んでまいった。毛衣をまとえばいっそ温かいだろうに。だが目に見て手に触れれば一層浅ましい考えにとり憑かれずに済むものか。手にしてはならぬ。身にまとってはならぬ。なんまんだぶ、なんまんだぶ。ううう。
 うむ? 気のせいであろうか。先程より狐の毛衣が近いような。いや、儂の気のせいであろう。まさか既に命を亡くしている狐が寄って来る筈もない。…やや。先程はこの藁束の向こうにあったに、何故こちらに来ておるか。しかも儂の勘違いでなくば、先程より一回り大きくなっているような。いや、そのような可笑しいことがあろうはずがない。生命尽きた毛衣が成長するなど、ある筈が…。おお。ごくり。大きく、なっておる。こ、これは何か異様な物の怪の仕業であろうか。ならばすぐにでも霊験あらたかなお坊様をお呼びせねば…。儂の足よ、動け、動け。なんとしたことか。足が地面に吸いつけられたようで、一歩も動かぬ。き、狐の衣が…。うおおお。こ、こやつまだ生きて? それとも年古りた狐が衣にされてなお魂を持ち続けたものか? いつのまにやら、血肉らしきものまでも身に備えて。どんどんどん。助けを…!
 ぱちり。はっ。ここは一体? あの狐の衣は? もしや、あれが人を化かすという狐であったか。まんまと、この儂までもがしてやられたわい。少々癪ではあるが。さて、帰るとしようぞ。…む? こ、これはあの狐の衣…。では。儂はもしや狐に…。