第二章英雄の末裔

一、ヘラクレイダイ




 リュクルゴスの改革の内容については、判らないことも多々ある。幾つか主要なものを挙げるとすれば、以下のようになるだろう。
 一、法律の制定
 二、法律違反の取締
 三、貨幣制度の改革
 四、女子の運動の奨励
 五、兵制の制定
   血盟隊(エノモティア)、三十人隊(トリアカス)、共同食事(シュッティア)。

 一説によれば、監督官(エフォロイ)及び長老会(ゲルーシア)も彼リュクルゴスの創設だという。スパルタと同じドーリス系諸国(クレタ島など)では毎年監督官が任命されていたという。それらはクレタ島からリュクルゴスが学んでもたらしたという説もありはするが、そのすべてをリュクルゴスによるものとするのは少々危険或いは早計であるようにも思う。或いは、それほどの伝説的立法家だったとも言えるのだろうが、それはドーリス系特有の、もともとあった制度ではないだろうかと思える。
 制度について、少々説明を添えよう。

 血盟隊(エノモティア)
 意味は「誓い合った仲間」。スパルタ軍隊組織の最下部単位である。平たく言えば小隊とでもいうところか。定数については不明だが、少なくとも「三十人隊」という名称が別にある以上、それ以下の人数であったのではないかとも思える。だが、三十人隊との関連などについては不明であり、今後研究の必要がある。三十人隊=血盟隊という説もあるが、三十人もの人々で一緒に誓い合うというのは、少々大規模すぎないかとも思われるので、五人乃至十人から、せいぜい十五人程度までとしておきたい。

 三十人隊(トリアカス)
 意味はそのまま、三十人の隊ということらしい。だが、先の血盟隊の説明にも書いたように、定数については不明であり、血盟隊との関連についても不明。

 共同食事(シュッティア)
 意味は「共に食事をすること」。スパルタ特有の制度である。スパルタ市民(男性のみ。女性は市民としては認められていなかったので、以下「市民」は男性のみをさす)は王も含めて必ず共同食事をせねばならないという規定があった。人数は十五人程度ずつだったらしい。自宅で妻と食事を取りたくなった王が、食事を使いの者に取りに行かせたところ断られたというエピソードがある。共同食事ではスパルタの二人の王は、それぞれ二人分の食事が与えられたが、それは自分で二人分を摂るためではなく、市民の誰かに栄誉を与える為に予め用意されたものであったらしい。そこで食べられた食事及び葡萄酒については持ち寄りであったが、とすればその為の当番があったかもしれない。蛇足ながら、七歳以降のスパルタ男子は皆共同生活をしているが、それは四六時中一緒にいることによって連帯感が生まれることを期待してのことらしい。とすれば、家庭生活に戻りがちな彼らの精神を結束するために考え出されたことと言えるだろう。それというのも、三十歳を越えれば、七歳以降ずっと集団生活を強いられてきた市民は、成人として家庭を営むことを許されて家を持つことが出来た(結婚そのものは二十歳から許されるが、妻と一緒に生活することは出来なかった)ので、自然そういう共同生活からは遠ざかることになる。当然それまで培ってきた連帯感も自然に消えていくだろうが、共同食事をすることによって、それを少しでも繋ぎとめようということかも知れない。共同生活を営んでいた七歳以降の男子は、食事はある程度は与えられるが、常に足りないように準備された。これは、彼らが盗みをするように仕向けるためのものである。見つかると罰せられたが、それは見つけられるようなヘマ或いは不手際をしたことを罰するものであり、盗みそのものを罰するものではなかった。蛇足ついでに、ヘラス(ギリシア)では夕食は日没以降、大体現代の時間に換算して、二十一時以降に開始されたようである。スパルタが同じ時間くらいに食事を摂っていたと仮定すると帰宅時には真っ暗闇だった筈だが。深夜でも闇夜でも同じように行動出来るよう、松明を持って歩くことは許されなかった。

 長老会(ゲルーシア)
 二人のスパルタの王と、二十八人の長老とで形成される、スパルタの最高会議。長老は六十歳以上の男子から選出され、終身制。主としてその職権は司法にあった。

 民会(アベソラ)
 詳細については伝わらない。だが、長老会が別にあることを考えれば、多数の市民が参加するものであったことが予想される。ただし、あまり活発な動きはなかったろう。

 監督官(エフォロイ)
 他のドーリス系諸国にも見られる制度である。毎年全市民中から五人ずつ選出された。その役目は王の施政や行動などを監視するものであり、ヘラスという土壌が独裁制を嫌ったためか、王の権限が縮小されるのに従い監督官の権限は拡大強化されていった。時には王を拘束したり処罰することも出来たという。後継ぎがなかなか出来ぬ王に妻を離縁して新たな妻を迎えるよう勧告したという監督官もいた。

 制度についてはこのあたりで止めておきたい。時代によっては兵制も大なり小なり変化するが、大まかなところはこのようなものであった。だが、それだけでは不十分であると思うので、説明を添えておく。
 貨幣制度は、金貨銀貨を廃し所有を禁じて、全て鉄などの重量がある金属が使われた。財産があると重くて大変という次第である。スパルタは一種の鎖国状態で、市民が公平で平等で、収入について落差が生じないことを望んでいた。経済や商業が活発でないために、商人たちもやがて来ないようになっていったという。まあ商取引を行えば、もっていていい貨幣だけで払うとなると大変重くてそれこそ馬車何台かを使うということになる。とすれば目立つので、ちょっと恥ずかしいし手間隙もかかる。という訳であった。
 続いて、女子。アテナイを含めた他のヘラス諸国では、女子は自宅の中にいるもので、結婚前も結婚後も、かなり行動が制限された。スパルタでは健康な子供を生むため、そして陣痛を含めたお産に耐えるだけの力を蓄えるために運動を奨励した。具体的な競技種目としては、競走、格闘、円盤投げ、槍投げである。スパルタの女子は結婚後は他のヘラス諸国の女性と比べると、比較的自由であったらしい。ついでに、スパルタでは子供は年間を通じて殆ど裸同然であった。一応一年に一枚衣服は支給されたが、サンダルなどの履物はなかったようである。それは女子も似たり寄ったりで、放埓がなくて廉恥心があれば良いとしていた。流石は彫刻の国というべきか。簡素への慣れと同時に、健康で引き締まった体そのものを愛でる機会を設けるあたりがお国柄と言えるかも知れない。女子に対しても、自尊心と徳性と名誉心を培わせたとされるが、それが事実だとしたら、リュクルゴスはヘラスにおいてはかなり開明的な人であったといわざるを得ない。
 結婚について。若くて未成熟な女性よりも年頃(という言い方は少々微妙でもあるように思うのだが、出産に適した年齢とでもいうべきか)で成熟した女性を妻に求めた。略奪婚の形式をとった結婚式であったようである。プルタルコス「英雄伝」リュクルゴスの部分には、その儀式が簡単に記されている。略奪された花嫁は頭を剃られ、女性の衣服を剥ぎ取って男性の上着とサンダルを与えられ、灯のない藁床に横たえておかれたとある。花婿たる男性は共同食事を終えてから花嫁の傍らにやってきてその帯を解き、抱き上げて寝室に移した。暫く時を過ごした後、花婿は身だしなみを調えて共同生活を営む他の青年たちとともに眠るために立ち去る。という。また、少々妙ではあるが、後継ぎのいない男性が、良い子を生めそうな多産系女性をその夫の諒承を得て自宅に迎え、子供を生んでもらうということも時折あった。果ては、どうしても子供に恵まれない男性が、自分の妻に、生まれのよい若者を宛がって、生まれた子を自分たちの子として育てるということも許されていたらしい。不倫でも姦通でもなく、予め申し立てられてあったことなので、当然ながら関係したどの人物も処罰されることはない。いずれにしても、健康で頑強な子を望んだスパルタ市民が切ない程に子供を求めたということかも知れない。個人的には、誕生時に多少虚弱でも成長して頑強になっていくこともありうるのだから、新生児検査で落第でも育ててみれば意外にいい成長株になったかも知れないと思うのだが、彼らはそうは思わなかったようだ。だが、子供は親の私物ではなく、国家の公共物(宝という訳ではないらしい)であるという思想が根底にあった。

 以上が簡単ながら、スパルタの制度についての説明である。リュクルゴスが加わっているかいないか不明な制度もあるが、スパルタの制度として簡単に記した。ついでながら、リュクルゴスという人物の終りについては諸説あり、しかもその多数がスパルタでない異郷の地で生を終えたとするものである。そのうちの一つに、リュクルゴスがスパルタの人々に「私が帰国するまで現行の法律を違えてはならない」と言い置き、デルフォイへ向ったという話がある。そこで、法律は国家の繁栄と徳性の為に十分に定められたか否かを問い、その答えとしてそれを用い続ければスパルタは極めて高い名声を保ち続けるだろうと返ってきたので、食を絶って死んだという。彼が帰らぬ限りは、その誓いを守り続けてくれるだろうという希望のもとの自殺である。
 リュクルゴスには、一子がいた。その名を、アンティオロスと言った。その子は、子なくして世を去ったので、彼の家系は途絶えた。しかし、リュクルゴスの仲間や親族は彼をしのび、彼の精神と事業とを継承するための団体を創設し、長く続けた。その会合が行われる日を「リュクルギデス」と呼んだという。

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