突発企画パロディ海邑秋の大運動会



 藺天化の抱えた太鼓が、レースの開始を告げた。先程のアナウンスで肝が冷え切った選手達は、暗い気持ちを抱えながらも先へと進む。これでもし最終走者にでもなったら、恐ろしいことが待ち受けていそうである。選手達は脱兎の如く、駆け出した。障害は、順不同である。越えさえすれば、それでいい。だから選手たちは自分がクリアしやすく、人があまり来ないものを狙う。そこで時間稼ぎをしてから難関に立ち向かうのだ。先程肝を冷やした選手に混じって、黒玉が走っている。アナウンス役を隣にいた白玉におしつけて、レースに参加したのである。まずは網くぐり。次に飛び箱。越えるまではそれが障害かどうか、はっきりしない。そこを越えて、それが障害物として認定されていた場合、スタンプ係がやってきて、体の一部に押すのである。到着する頃にはスタンプだらけになっている訳だが、擽りっこが好きな小さい子供にはちょっと人気のある種目であった。女子登録選手筆頭である黒玉は、先程長距離の男子選手が着用していたのと同じ半袖の服をまとっている。しかし下は何やら丸い形状のもので、色は黒であった。ぴったりと太腿の付け根にくるので、動きやすいのだが。普段着慣れている服は長袖であるので、ちょっと慣れない。怪我をしたら擦り傷の処理だけでも消毒に時間がかかりそうである。その黒く丸い形状のハキモノからややふくよかに伸びた足は、成長期最中のものであるが、褐色の肌は普段目にすることが叶わぬ部位であり、少年達の一部はそれに釘付けとなっているものもあった。
「黒玉大姐、意外に…」
 そういいかけたのは、藺槍玉であったが、そう呟いた途端上空から粘ついた透明な液体が降ってきたことに気付いて、悲鳴を上げた。アナウンス席の隣にいたのだが、白玉に抱かれた黄玉の涎攻撃を浴びたのである。その量は尋常ではなく、藺槍玉は着替えのために戻らざるをえなくなった。
「各者、最良のスタートを切っております。今のところトップは黒玉でしょうか。スタンプは四つを数えております。今更に一つ。いえ、その上を行く選手が現れました。碧玉大哥です。先程リタイアしてエネルギーの温存を図ったものと思われます。俊敏さでは敵わぬと見ての作戦変更でしょうか。一見正しい選択に思えますが、その選択が最高の結果を導き出すとは限りません」
 冷静にアナウンスをしている白玉の左腕に抱かれたまま、黄玉は「あー」と声をあげた。黒玉がコケたのである。
「ここで黒玉、転びました。怪我はしていないでしょうか。救護班、用意願います。立ち上がりました。大丈夫でしょうか。そのまま続行するようです」
 障害として用意されたものは、全部で十五である。黒玉が七つ、碧玉が八つになっていた。藺水玉は俊敏に立ち回って挽回し、十を数えている。
「碧玉大哥に代わってトップに踊り出たのは水玉です。流石の軽量級。ぽんぽん飛んで楽々障害を越えていきます。しかも息一つ切らしておりません。その隣を行くのは翠玉です。やや表情が硬いのは、先程の長距離の疲れが残っているのでしょうか。お酒を飲むなら成人してから。あなたの健康を損なう恐れがありますので、吸い過ぎには注意しましょう。良い子は、絶対に真似をしてはいけません」
 近くで、「はぁーい」という声が響いて、白玉はそちらを見てにっこりと微笑む。青玉に抱っこされてレースを観戦している紅玉であった。ゴールに金色の髪の少女が飛び込んで、終了を告げる鮑天興の笛が鳴った。
「勝者は、水玉でした。余裕はまだまだありそうで、息も切らせていません。さて、最後の借り物競技に移ります。選手登録をしている方は、入場門へお集まり下さい。なお、このレースは本日のメインであり、一番の危険を伴うものでありますので、怪我には十分注意して挑んで下さい」
 アナウンスを終えて白玉は紫玉に法螺貝拡声器を預けると、入場門へ向かっていった。メインは、出場者も最多となる。巫女が着替えて準備すると、それだけで周囲のどよめきがあった。すらりと伸びた白い足は、細くしなやかでいながらどこかほんのりと明るい。いつも控えめに結い上げた髪も、今回ばかりは運動に不向きと判断したか、後頭部頭頂で束ねて背中へと垂らしている。まっすぐな黒髪は艶やかで、腰に届きそうであった。白と黒のコントラストが目に焼きつくように鮮やかである。普段着ている巫女の衣装は肌の露出が少ないのだが、今回の大会制服として誂えた、海邑としては露出過多気味の衣装は同族少年男子達の感涙を誘ったようである。
「いよいよ最後のシークレット借り物です。フェイクも十分用意してありますので楽しんで下さい。各選手スタートラインにつきました」
 再び声が変わったことに安堵したものは、少なくなかったようである。
「まず最初に借り物が何かを決めるカードを見つけなければなりません。黒玉は雲梯に。碧玉大哥は天祥おじいさまの許へ襲撃。紅玉はまっすぐ…あら?」
 その声にアナウンス席に視線が集中した。紅玉はまっすぐ紫玉のもとへ近づいていき、その髪をまとめるリボンをねだった。
「はい、紅玉」
 リボンには借り物が記されていた。
「紅玉、早くも借り物のカードを入手しました。黒玉は…雲梯の脇に埋めてあったカードを確保。碧玉大哥は天祥おじいさまの靴の裏に貼り付けられたカードを手にしています。白玉は、あら。どこへ行ってしまったんでしょうか。あ、観客席のプレートを確認しています。カードはあったのでしょうか。あったようです。他の選手もそれぞれカードを見つけたようですね。リアルでしょうかフェイクでしょうか」
「黒玉、残念ながらフェイクだったようです。碧玉大哥もカードを地面に叩き付けております。白玉は走り出しました。紅玉もまた走り出しました」
 そのとき、黄玉が黒玉に向かって「あー」と声を発した。それに気付いたのは碧玉の方が先である。すぐさま突進を開始した。
「あっ!」
 アナウンスの紫玉が思いがけなく声を上げた。黄玉はその膝から飛び降りてよちよち歩きながらもしっかり黒玉の方に向かっている。
「黄玉」
 レースの妨害行為に当たるのではと紫玉は冷や冷やしたが、その場を離れる訳にはいかぬ。碧玉の猛進に気付いた黒玉がさっと走り出した。水玉に比較すれば重量級ではあるが、それでも流石に碧玉よりは身が軽い。ダッシュして黄玉を抱え上げると、黄玉が袖口に縫い付けられたカードを差し出した。
「きゃあ♪ 黄玉、恩に着るわ!」
 軽く額に口付けして碧玉に預けようとするが、幼子は黒玉の袖をしっかり握っている。
「ぶー。ぶー。ぶー」
「黄玉、これは驚きです。何と自ら選手に堂々とえこ贔屓を行いました。この行為は果たして認可されるのでありましょうか? 今、審判長天祥おじいさまからのコメントが入りました。三歳以下の幼児の介入は、天佑によるものとして許可する。とのことです。無事認可されました。しかし黄玉のブーイングは何を意味するのでしょうか? 解説出来るであろう白玉は只今借り物に向かっているもようです」
 一瞬躊躇い。黒玉はブーイングを続ける幼児の唇に軽く口付けをした。その瞬間、舌に何かちょろちょろとしたものが触れたような気がしたのは、気のせいだろう。黄玉は満面の笑みで黒玉を開放し、碧玉の厚い胸板に縋り付いた。
「お前…自分のオンナに勝たせたいからってそこまですんのかよ」
 呆れかけた碧玉にご機嫌の笑みを返して黄玉は宣言した。
「だー!」
 右手の親指がしっかり立って、ウインクが見事に決まる。碧玉は思いっきり脱力した。
 借り物レースはいよいよ中盤である。各自が何とかリアルのカードを手にいれて、ゴールめがけて走ろうとしているのだが。今回ゴール役になっている人物が誰であるのかが判明していない。
 白玉はまだ戻ってきていない。碧玉と黒玉はまだ借り物を捜しているようである。紅玉が虎玉を抱えて青玉の許に駆け寄ってきた。
「たーっっち!」
 前から紅玉、後ろから白玉に抱きつかれて、サンドイッチ状態になったのは青玉である。鮑天興の笛が高らかに鳴った。
「観客席の青玉が今回シークレット借り物のゴール役だったようです。しかし前後から紅白コンビに突っ込まれ、衝撃は小さくありません。大丈夫でしょうか。満面の笑みのまま気絶しているようです。あっ、息を吹き返しました。にっこり笑って手を振っております。これは…同着でしょうか? 審判長のコメントをお願いします」
 軽く咳払いをした海天祥がアナウンス席の紫玉の隣にやってきた。法螺貝拡声器を使うまでもない大音声である。
「これは、観察していた近辺のものの情報を合わせ、判断する。白玉・紅玉は同着。よって賞品も山分けとする」
 長老の宣言に場は一気に盛り上がった。どよめきがこだました。
「以上でシークレット借り物競技は終了です。海邑秋の大運動会もこれにて全競技を終了致しました。続いて表彰式を行います」
 紫玉の声が会場に響き渡る。結局言い出しっぺの碧玉は一つも勝てぬままであった。翠玉、青玉、水玉に紅玉と白玉が順番に表彰される。
「続きまして。閉会式です。今回は、最終走者に対して、賞品が与えられます」
 ぎくっと肩を竦ませた者が数人いた。そのうちもっとも動揺した者は、その場を抜き足差し足で逃れようとしていたが、明るく元気な声を掛けられて、ままならなくなる。しーっと人差し指を立てても首を傾げられるばかりで、離してくれそうにない。逃げたいのだが。
「海碧玉大哥が最終走者と決まりました。皆様、この度はイベントにご協力頂きましてまことにありがとうございました。開催実行委員長海白玉から、ご挨拶があります」
 紫玉から法螺貝拡声器を受け取ると、にこやかに微笑んでスピーチを始めた。いつのまにやら、着替えていて既にいつもの巫女姿である。
「イベント開催に当たり、皆様の多大なるご協力を頂きまして、まことにありがとうございます。朝晩の練習も準備もそれから会場設営もそれぞれ頑張って下さいました。多忙な日々の中、お時間を捻出頂きましたことに深く感謝申し上げます。なお、イベント開催を呼びかけて下さいました碧玉大哥。今回は見事に最終走者を引き当てて下さいました。それでは、賞品といたしまして、今後一ヶ月、お風呂とお手洗いのお掃除権を差上げます。どうぞ満喫して下さい。なお一日でもおサボりになった場合には、倍の期間延長とさせて頂きますので、予めご諒承下さい」
 白く輝いた肌も明るい微笑みも、極上のものであった。
 空はからっと晴れて心地よく湖の上を渡る風も快い。そんな中で、碧玉の心の中にだけどしゃぶりの雨が降ってきたようであった。
 何やら冷たい風が胸の中を通りぬけた気がする。その時水滴が落ちてきたことに気付いて、雨だろうか。と。ふと顔をあげた。
 すぐ傍にあったのは、白玉に抱っこされた黄玉の顔だった。その唇から零れている透明な雫に目がいき。碧玉は深い吐息をついた。そして、もう二度とこのようなイベントはやるまいと心に深く刻みつけた。

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